「逃げおくれた」伴走者、そして後悔ばかりの人生
2021年7月22日
自分の場合は過去を思い返すと、成功体験よりも失敗体験の方が色濃く思い出される。単純に失敗した回数の方が多いからかもしれないけど。
でも、最近は、いつまでも過去の栄光に浸っている大人を見ると嫌になるので、「成功は1週間たったら忘れろ、失敗は死ぬまで背負って生きろ」と、自分に言い聞かせている。
後悔には、二つのタイプがある。やって後悔することと、やらずに後悔することだ。
あのときどうして、あんなことを言ってしまったんだろう。やってしまったんだろう。というのはやって後悔すること。
あのときどうして言えなかったんだろう。もっとこうしておけばよかった。というのはやらずに後悔すること。
「やって後悔する」タイプの後悔は多分、当時はその時の感情に身を任せているだけできっと素直な感情をぶつけただけだったんじゃないかと思う。時間が経つにつれて価値観や考え方が変わっただけかもしれない。
振り返ってみると恥ずかしいとか、そういうのが多いけどそれは自分が成長した証拠なんだろうとも思う。同じ場面に直面したら同じことを繰り返さなければいいだけの話。
「やらなくて後悔する」タイプの後悔は、当時の自分が考えすぎだったのだろうと思う。感情を抑え込んで何もしないことを選び、結果後悔する。
やらない後悔よりも、やって後悔した方がいいという言葉はよく聞くけど、今の世の中を見ているとほんとうにそうなのだろうかと思ってしまう。
やったことは取り返しがつかない。一生後についてくる。過去の自分の行いが、千載一遇のチャンスすらも無駄にしてしまう可能性だってある。
他人の過去をほじくり返してここぞとばかりに叩きつけてくる。失敗は成長のもととは言うが、失敗の許容範囲がどんどん狭まってきている気がする。
なんなら富裕層から多くの税金を取ろうとする政策ばかりで、そんな世の中で日本でお金持ちになりたいとか、チャンスに飛びつこうと思える人間がどれほどいるのだろうか。
生きづらい世の中だよ、まったく。
自分は逃げ遅れた人間だと思う。「逃げ遅れた」という言葉は「逃げおくれた」伴走者から持ってきたものだ。
「逃げ遅れ」という言葉はどこか後ろ向きな感情を感じる。それはその通りなんだと思う。
逃げ遅れた人は逃げる勇気もなく、立ち向かうでもなく、ただ関わり続けるという中途半端さがある。そこにはいろいろな理由がある。
自分の場合は人との関わりを捨てられないということが一番大きい。正直今すぐにでも逃げ出したいと、何度も思うけど、どうしても関わりと絶つことを考えてしまう。
たぶん後悔ばかりの人生がそうさせているんだと思う。
どんなことにも後悔したくないという思いは強いが、特に人間関係は崩れやすく、修復しづらい。どうでもいい人間しかいなくなったら多分逃げ出すと思う。