追うもの、追われるもの、追い抜かれたもの
2025年10月8日
ネタバレあり。ひゃくえむ見てきた。なんの前情報もなく、なんの映画かも知らずにいったので、ひゃくえむってそういうことなのね、とまずは思った。
実際のアスリートの方が書いたレビューも視点が面白かった。
ひゃくえむ。にはこれまでの僕の陸上人生すべてが詰まっていた(現役陸上100m選手の映画レビュー)
映像としてのクオリティも素晴らしかった。スタート前の緊迫感、選手それぞれのルーティーン、まるで実写を見ているような感覚。
いくつか印象に残ったシーンがある。
まずは冨樫と小宮がインターハイで勝負するときに、冨樫が「また勝たせてもらうよ」と言った。
冨樫の中では、昔、河原での勝負は「自分が勝った」と思っていたのだろう。あれは小宮が勝っていたように私には見えた。実際どうなのかは分からないけど。
冨樫はたぶん、勝てないとわかっていたんじゃないだろうか。でも、どんな状況であれ強気でいないと、勝てるものも勝てない。
でも本気で勝とうと思えば思う分、負けた時の反動が強くくる。この時点で冨樫がどういう人間なのか自分には分かってなかった。このまま追い抜かれたものとして終わるのかなぁと思ったし、追うものになって欲しいという期待もあった。
今から現実を逃避する
「現実的に考えて…」とかよく言いそうな自分にはない考え方だった。
「今から現実を逃避する」これも10秒だからできることなのかもしれない。
何日間も逃避し続けることはきっとできない。いつかは現実に戻る時がくる。けど、その10秒間、逃避することがすべてなんだ。
大抵のことは100mを誰よりも速く走れば全部解決する
というセリフは、誰よりも速く走ったことのない自分にはピンとこない。いろいろ考えてみたけど、今でもピンとこない。
陸上選手にとっては生活がかかっているから、そういう意味ではそうなんだろうけど「大抵のこと」にはどこまで含まれるのだろう。
もしかしたら、誰もピンとこないきていないのかもしれない。だから誰よりも速く走ろうとするのだろうか。その答えを探そうとしているのだろうか。