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自己信頼

2025年5月13日

自己信頼

なにきっかけで買った本か覚えてないが、ちょうどいい薄さだったので読んだ。

なぜいつも分別を持っていなければならないのか。公の場で述べたことと矛盾するまいと、なぜいつまでも記憶の屍を引き摺り回さなければならないのか。 仮に矛盾したとして、それがなんだろう。記憶だけに頼らないこと、たとえ記憶がはっきりしている時でも、なるべく頼らないようにすること、常に現在の視点から過去を徹底的に検証し、日々新しい一日を生きること、それが懸命な態度だと思われる。

自分が矛盾しているかどうか、あまり気にしたことなかったなぁとふと思う。なんなら「これって私が言ったんでしたっけ?」とかってよく言っている気がする。それはそれでやばい気もするし、もしかしたら周りからめんどくさいやつだと思われているかもしれない。

「われわれは自分が愛するものを手にしているが、欲望によって、その愛を自ら失う」のである。

分かるようで分からない一文。いつかふとした瞬間に降ってきそう。

ありのままの私を愛してくださるなら、私たちはもっと幸せになれるでしょう。ありのままの私では愛せないというなら、ありのままで愛される人間になるよう努力するつもりです。

ありのままで愛される人間になるよう努力するってどういうことなのかわからない。それはいいことだと思うけど、それってありのままなのか?多分この人努力するつもりないなとか思っちゃう。ひねくれてるかもしれない。

ふるさとを愛しているなら、あるいは自分が知っていることよりも、もっと大きなものを見つけたいがために外国を訪れるのでないなら、私も芸術や学問や慈善のために世界をめぐることを、いちいちとがめ立てるつもりはない。 しかし娯楽のため、あるいは自分にないものを手に入れるために旅をする人は自分から逃げているのだ。

なんとなく気まずい感じがする。そこにある何かを感じたいがために外国に行きたいなと思うことはあるが、すこしだけ、現実逃避のような側面もなくはない。

シェイクスピアを研究してもシェイクスピアは生まれない。自分に割り当てられた仕事をするのだ。そうすれば多くを望みすぎることも、大胆になりすぎることもない。

私は私以外のなにものにもなれない。それでいい。

あなた自身をおいて、あなたに平和をもたらすものはない。根本原理に従い、その光輝に身をひたすとき、あなたは初めて平和を手に入れるのだ。

訳者のあとがきにもあったが、本全体を通して自分に言い聞かせているような、著者自身の決意が書かれているような印象がある。

ただ自己を主張せよという話ではなく、謙虚に、漏れ出さないように、今の自分の視点、思考、意見、感情を大事にすることが周りを惹きつけるのだと理解した。

全体的に自分肯定しすぎじゃね?って思ったりもするけど、そう思ってしまう時点で自分を信頼しきれていないということなのだろうな。でもまぁ、私はそういう半端なところも含めて自分を信頼してあげたい。