時間の価値に対する認識の変化に気づく
2024年9月18日
私は約20年前、高校生の時、自転車通学をしていた。
たしか毎月の定期代が当時の私にとっては高額で深く考えずに節約するためだったと思う。
最近高校時代の友達と会う機会があって、だいぶ遠いところから通ってたよなぁという話になり、改めて調べてみたら片道14kmあった。今では信じられない。
なんで今では信じられないのだろうと考える。
まぁ体力的にしんどいというのはあるだろうけど、自転車は漕いでいれば、いずれは目的地にたどり着く。別に急ぐ必要がないならのんびり走ってればそんなに疲れることもないし、なんなら特に夜は風が気持ちいいくらいだ。
たぶんポイントは急ぐ必要がないなら、というところで、ただ自転車にのって過ぎていく時間よりも、その時間で他の何か、思いつくのは仕事しかないけども、他の何かに充てたほうがいいんじゃないかと、どこかで思っているんじゃないかと思う。
学生時代に比べて経済的な余裕があることや、車という自転車よりも楽ちんな移動手段を入手してしまったことにより、時間をかけて小銭を節約することよりも、お金を払って扱いやすい時間を得ることを選択するようになったんじゃないかと思う。
社会人になって少しずつお金が増えていくことで、気づかないうちに時間の価値に対する認識も少しずつ変わっていたのかもしれない。私はなかなか連続する変化に気付けない人間なので、この変化がほんとうにあるべき変化なのかはよく考えたほうがいいかもしれないなと少し思う。お金をかけて得た時間を無駄にはしてないだろうか。
そんなことより、高校時代が20年前、ということのほうが衝撃で、ずっとその衝撃を引きずりながらこの日記を書いている。