心理的安全人間になる
2021年5月29日
今の会社に入社していつのまにか丸7年経過した。役職もそれなりになってきて、新卒一年目の人からしたら圧倒的に話しかけづらいだろうという自覚が出てきた。
前々から「心理的安全性」が大事だというのは知っていて、個人的には注意してきたつもりだったけど、もっとちゃんと学んで意識的に創意工夫する必要があると感じはじめた。
沈黙の文化
恐れのない組織という本を読んだ。
この本によると、心理的安全性のない組織では沈黙の文化が生まれるという。非常によくわかるし、どの会社でも、どんなイベントでも沈黙してしまう瞬間はあると思う。
心理的安全性のない組織で沈黙の文化が生まれるのは
- 意見すると否定されてしまう
- 意見してもまじめに取り合ってもらえない
ことにより、意見したくない、言っても無駄、ということが連続したり、目の当たりにしてしまうことで生まれる。
一番最悪な状態は、沈黙の文化が出来上がることにより、沈黙している状態に心理的な安心感を感じてしまうことだと思う。
文化というのは、なにかが多数を占めている状態であるとも言える。つまり、意見をいう人よりも、沈黙でいる人の方が多くいる状態。
心理的安全な組織では、安心して意見を述べれるが、沈黙の文化がある組織では安心して沈黙できる(誰も何も言わないのが当たり前)。
心理的安全でない状態で無理に発言しろとは言わないまでも、沈黙してしまうことに対して一種の焦りや課題を感じることは忘れないでおきたい。
心理的不安を自らぶち壊す
社内ではある程度の立場になったとはいえ、私もただの人間なので、誰かに対して心理的に不安になることはもちろんある。
若干開き直っているところがあるので、そこまで頻繁に感じることはないにせよ、一度不安になるとけっこう引きずってしまいがち。
ただ、そこで自分が不安になって黙ってしまったら、きっと私より下の人はもっと不安になってしまうと思う。
特に自分よりも上の立場にある人が明らかに間違った発言をしたときに、比較的上の立場にいる自分が黙ってしまったら、周りにはきっと間違いを肯定していると映ってしまう、瞬時に失望に変わることさえあるだろう。
その場ではできるだけ平静を装いつつ事実を述べ、あとで実は不安になったことを打ち明けることを意識しよう。あと、多分自分も不安だよということを知らせることも大事だと思う。
心理的安全の塊になる
心理的に不安、というのは「分からないことが多い状態」じゃないかと思う。
- 周りにいる人がどう思っているのか分からない
- 周りにいる人に何を言われるか分からない
だから私は分かりやすい人間になるのだ。
- あの人なら的確なアドバイスをくれるだろう
- あの人ならうまく回してくれるだろう
それはある種の信頼とも言える。信頼を得るためにはまず自分自身をオープンに、積極的に接することが大事。きっと長い期間がかかるだろう。
そしてなにより私自身がまわりを本気で信頼する必要がある。たくさんのことを経験してきたからなのか、無条件で誰かを信頼することが本当に難しいと感じる。
ここも、ことの良し悪しはいったん置いておいて、まずは事実だけを述べるのが大事だと思う。
イメージ的には勉強会で隣に座ると安心する人とか、懇親会で一緒にいると安心する人とかそういう感じ。多くの人が集まる時にこういう人が一人でもいると、安心感が全然違うのよね。
諦めの境地から引っ張り出す
心理的安全性がない組織の特徴として、もう一つ、意見することを諦めてしまう人が現れること。
意見しにくい、という状態は比較的若い世代や新入社員に起こりがちだけど、意見することを諦めることはある程度入社歴が長い人でも起こりうるし、モチベーションにかかわるので実は気をつけた方がいい。
というのも実は、自分が若干諦めの境地にさしかかっているからである。それは職種を跨ぐときに顕著に起きる。
このままいくとヤバイってことに気づいて、こうしてくれって言ったところで、その場はうまく流されてうやむやになって終わる。それが長く続くともういろいろめんどくさくなって、自分が持つ権限の範囲でしか仕事しなくなる。
人は変えられないので、人を動かすことを学ぶ必要があるが、まずは自分が誰かの話をうやむやにしないことを意識する。ときには、諦めの境地にいる人の話をよく聞いて、各所に働きかけることも重要。
あとは任せた
できるだけお膳立てしたらあとは各自に任せるしかない。心理的安全性というのは誰かが作るものではなく、全員で作るものだから。
誰もが1パーセントの不安に立ち向かう努力をするときがくる。きっとそれが成長のチャンスだと思う。