努力する人間になってはいけない-努力主義はエゴイズム
2024年4月20日
「努力する人間になってはいけない」という本がある。出版されてからすでに10年以上経っているが、何度も読み返しては最後まで行かずにまた最初から読み返している。
いつもなら読み切った後に感想をまとめて書くのだが、この本は分厚い上に自分に刺さる言葉が多いので、なかなか読み終わらない。だから細切れにして記録することにした。
努力主義はエゴイズム
たとえば、健康のために走って出勤する人に対して「ストイックだね」と言ったことがある。これは相手を尊敬し、私には到底真似できないことだという気持ちをこめての言葉だ。健康な身体を作るには運動が必要で効果的なんだろうなと思っている。きっとこの人は運動以外にもプロテインを飲んだりとかいろいろ工夫しているんだろう。
努力することは、いいことだ。おそらく100人に聞けば100人が同意すると思う。しかし、それは努力の仕方による。たとえば同じことをただ闇雲に続ける努力は、自分のエゴイズムを満たすための努力になってしまう。
努力主義は、自己のやり方を変えようとしないエゴイズムなのです。努力する人は謙虚なように見えてそうではない。むしろ自分に固執する偏狭な人なのです。
仕事においては、出世すればより成果を求められるのは当たり前だし、逆に成果を出せなければ評価もされない。
その前提において「同じやり方でただこれまでよりも多くの時間、量をこなす努力」をすることは褒められるようなことではない。それはいつか限界がくるからだ。
Webページを早く実装できる人と、Webページを自動で実装する仕組みを作る人では、どちらが将来性があるかはなんとなくわかる。仕組みを作るスキルがあるからではなく、作業内容に応じてやり方を変えられるというスキルの方が、柔軟性がある。
「努力する」の反対語が「考える」
だから「努力する人間になってはいけない」。努力するのではなく、考えて、変える・変わる必要がある。
単純な仕事を単純にしか考えない人には、単純な仕事しか回ってこないのです。
会社は教育することを目的とした組織ではないので、極論すれば一人一人の成長に合わせた仕事を用意する必要はない。もちろん社員が成長すれば、生み出す成果もよりよいものになるというのはあるが、成長するかどうかは本人次第であり、管理職というものはその人が成長するだろうかということをわりと見極めている。つまり見込みがない人には単純な仕事しか渡さない。
そこから抜け出すためには、単純な仕事を単純にやらずに、考えることが必要だ。自分には成長する見込みがあるということをアピールしない限り、前に進むことはできない。
他の人がやっていないようなことで成果を出すのは簡単だが、みんながやっているような単純な仕事で頭ひとつ抜けるのは難しい。えてしてそういう仕事は入社まもない社員に割り振られることが多い。つまり入社直後に考え抜けるかどうか、それがあなたの今後を左右する。