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努力する人間になってはいけない-依存とは信用のこと

2024年6月1日

自分だけの力で生きている人というのは、別の言葉で言い換えれば、誰のいうことも聞かない唯我独尊状態だということです。一見パワーがあるように見えますが、実際は一人の力でしか生きていない。自分しか自分の支持者でない状態だということです。これは美徳ではなく、悲劇です。

自分はどちらかというと一人でも生きていけると思っている人間だと思う。でも生きていけるとは思うけど、生きていきたいとは思わない。

知りたいこととか、行ってみたいところとか、やってみたいこととかたくさんあるけど、たった100年の人生ですべて自分で経験するのは無理だから、いろんな人とのコミュニケーションとって追体験したいなーと思ったり、

子供の頃から誰かのために何かをするのが自分の性に合っていると思っているので、自分一人だけで生きていく人生には魅力を感じない。

まぁ、会社で働いていたり、社会のお世話になっている時点で一人で生きているとは言えないわけだけども。

だからと言ってあなた方の親孝行は「親に少しでも迷惑をかけたくない」と言ってアルバイトに精を出すことではありません。

これがいちばん学生時代に気づいておきたかった。結果的にいまは社会人として働けているけど、親が大金を叩いて投資してくれた分の行いを学生時代にはやっていなかったなと思う。今考えたら何をやっていたんだと。

大人になった今ならわかるけど、投資に対して、その投資と同じ額を返すのは、まったくもって意味がない、効率の悪い投資だ。投資を受けた分の何倍もの価値を生み出すこと投資された側が気にすべきところなんだ。

親は投資だとは思っていないだろうし、お金の話でもないんだけど、やっぱり視野が狭かったと思う。

そして人間が「学校」というものを持つということ。それは安易な自立の道を選ばずにまず勉強しなさい、自分が未熟であることを自覚しなさいということを意味します。

自分が未熟であるということを自覚している人はある意味で謙虚であるとも言える。

どの業界でも同じことが言えるだろうけど、IT業界は流れが早いと言われるほどにどんどん新しい技術が出てきて、気を抜くとすぐに置いていかれる。置いていかれるということは未熟であるということと同じだ。

もちろん経験がある未熟さと、未経験の未熟さが同じとは言わないまでも、ある事柄については自分も人と同じように未熟であるというその謙虚さが、周りとうまくやっていくためにも、自分が努力するきっかけとしても必要なんじゃないだろうか。

人に依存するということは、未熟さを自覚していることの一種の表れなんじゃないかとおもう。そういう人に私は投資したい。