努力する人間になってはいけない-クルマの心を読めるガソリンスタンド-
2025年4月29日
ガソリンスタンドとディーラーでの一件の話が興味深かった。こういう日常の出来事を話としてまとめられることが自分にはできないと思ってしまうのは、ものごとの心を読めていないからなのかもしれない。
ディーラーは、クルマを売るところだと思っているのです。だから一度クルマを売ってしまって何百万かの大金が入ってくれば、2000〜3000円の修理、あるいは10万円、20万円のタイヤ交換には関心がなくなる。だからタイヤに石鹸水すらかけない。 クルマの売買契約書に判子を押した瞬間からもう私はお客様ではないと思っている。買い替えの時期が車ではビジネスの対象ではないと思っている。ディーラーは、クルマを売るところという分業主義が蔓延っているのです。 修理箇所やクルマの現場全体を絶えず顧客に提示して、ビジネスチャンスを拡大する気がない。
一方ガソリンスタンドでは、
車体、タイヤ、車内を毎回チェックして、ビジネスチャンスを見出そうとしている。付加価値ではなく、このガソリンスタンドにとっってはクルマの全てが価値なのです。 まるで私がユーザーとしてクルマを愛するように、ビジネスとしてクルマを愛している。愛している、というのは、いつでも全体を愛しているということです。クルマの心をわかっているわけです。 ガソリンスタンドはガソリンを入れるところ、ガラス拭きはガラス拭き、車内清掃は車内清掃、そういった分業主義を排しているわけです。
自分も気をつけないとなぁと思うけど、いたるところで起きていることなんだよなぁ。最近も比較的少額の案件にたいして、会社としてこういう案件も取っていくべきなのかとかいう話を聞いたことがある。
なんでもかんでもやっていたら人も時間が足りなくなるから優先度をつけているということなのかもしれないけど、そうであったとしたら、それは自分の視点でしかものごとを見れていないということなのかもしれない。
表面的にしかものごとを捉えられていなくて、その次の層やまたその次の層への連鎖までもちゃんと見えているのだろうか。