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ユーティリティと呼ばれた男(上)

2025年8月24日

最近、役割が増えてきているような気がしている。あきらかにコンテキストスイッチが生産性を下げているような自覚がある。

もともと誰もやらないこと、やりたがらないことをとにかくやってきたこともあり、浅く広く、言うなれば器用貧乏な人間なんだろうと思う。いい感じの言葉を使うならジェネラリストか。

話を戻して、どのタスクも中途半端になってきていて辛くなってきたので、役割を減らしたいという相談をした。話自体はわかってくれた思っている。そのときに「ユーティリティとして使われている」みたいなことを言われた。

ただ、なんとなく出てきたその言葉を聞いて「あーなんかしっくりくるなぁ」と思った。「使われている」と言うとなんか悪いように聞こえるけど別に何も感じなかった。だって仕事だし、自分にできないことを誰かに相談するのは組織として当たり前のことだと思う。よく捉えれば、頼られているってことなんだろうな。

プログラミングでも「ユーティリティ」という言葉はよく出てくる。便利機能をまとめた小さな部品や補助的なプログラムの総称で、Web開発においてもTailwindは小さなクラスを組み合わせて作るユーティリティファーストなCSSフレームワークと呼ばれる。

ChatGPTにユーティリティの特徴を聞いてみる。

  • 汎用性:個別の機能やドメイン(例:ECサイトの商品検索)に依存せず、幅広い場面で再利用できる。
  • 補助的役割:本体のロジック(ドメインロジックやビジネスロジック)を直接担うのではなく、そのロジックを「書きやすく・保守しやすく・読みやすく」するための道具になる。
  • 共通化:繰り返し出てくる処理をまとめることで、重複コードやコピペを減らし、変更の影響範囲を狭める。
  • 小さく独立:他の部分に強く依存せず、単体で動作することが多い。依存度が低いため安全に再利用できる。

人に当てはめてもらった。

  • 汎用性:ユーティリティな人は 特定の領域に閉じず、幅広い場面で役立つスキルや知識を持っている
  • 補助的役割:プロジェクトの主役ではなくても まわりが働きやすくなるように下支えする存在
  • 共通化:「この人がいると無駄が減る」「共通のやり方を整えてくれる」といった 効率化・標準化をもたらす人
  • 小さく独立:自立して動ける人、つまり「細かいことを自分で完結でき、まわりを煩わせない人」となる
  • 見えにくいが欠かせない:ユーティリティ関数は目立たないが、なくなると困る。人でも「縁の下の力持ち」「普段は意識されにくいけれど、不在になると組織が回らなくなる存在」と重なる。

やっぱりしっくりくる。自分から見た自分の特徴とも一致している。ただ、なんでか分からないが追加されている「見えにくいが欠かせない」というところ、ここだけがひっかかっている。

私のプログラミング観ではユーティリティは「あれば便利だと感じるかもしれないが、それは気のせいであり危険信号だ」と思っている。どちらかというと避けるべきだとも思う。話を大きくすれば人間が目先の楽しさや快適さを求める欲求を優先しがちというのが表れているようにも思う。

基本的には役割が定まらないコードなんてものは存在しない方がいい。ユーティリティというのは人間が考え抜くことを諦めた結果とりあえず生まれてしまう存在ではないかと思う。

共通化と言うと聞こえはいいが、それは単に処理を共通化しているだけであって、真に役割が共通なのであれば、そこにはユーティリティという名がつくはずがない。便利なものがあれば使ってしまうのは当たり前なんだから、長い目で見ればそんなものは無くした方がいい。

この考え方は今の自分の存在を否定することを指している。

ふとした言葉をずるずるひきづっている理由はもう一つある。

器用貧乏やジェネラリストを否定するつもりはないが、きっと私が望むのはそこではないんだろうなぁと思う。私の心を動かすのは常に何かに熱中している人と、その姿勢だから。ジェネラリストと比較して言うならスペシャリストなんだろうな。べつに正反対にいる概念だとは思わないけど。

あいつには敵わないとか、自分はそこまでストイックになれない、向いてないとか、決めつけるのは簡単だけど、そもそも誰かと対決しているわけでもないし、向いていなかったらどうなんだ?という話だ。

要は自分が何をしたいかだ。結局ここに戻る。誰かを感動させたいと昔から考えているけど、自分の心を動かすのがスペシャリストなんだとしたら、そっちを目指すべきなんじゃないのか?


ここまでの流れ自体、今の自分の気分を表しているなと思う。もともとは自分のためになるより、誰かのためになることの方が熱中できると思っていたし、それが自分をユーティリティ的な存在にしたんだと思う。

結局、心のどこかで何かを期待していた自分がいたんだと思う。見返りというよりも、頑張れが周りがついてきてくれるとかそういう周りへの期待。それが自分が勝手に想像していた映像にはならなくて、嫌になってきているだけなんだろうか?

さぁ、これからどうしようかぁー