アーモンド
2024年10月16日
アーモンドは感情がわからない少年を主人公に描いた、韓国の作家であるソンウォンピョン著の小説。
「アーモンド」は形が扁桃に似ていることから和名で「扁桃」というらしい。扁桃体は感情的な反応において重要な役割を持つことが示されていて、主人公は扁桃体が人よりも小さかったことが起因しているらしい。
読んだのだいぶ前なので、線引いたところを思い出しながら書いてみる。関係あるのかわからないけど、韓国の映画は映像がとても美しいと思う。この小説でも表現が美しいなと思うところが何度かあった。
その晩は眠れなかった。幻のような映像が、頭の中で際限なく繰り返し再生された。揺れる木々、色とりどりの葉、そして風に体を預けたまま立っているドラ。がばっと起き上がり、訳もなく書架の間を歩いて、まだ立てかけてあった国語辞典をめくった。でも、僕が調べようとしている単語が何なのかわからなかった。体が熱かった。脈が耳の下でドクドクいっている。手の指先でも、足の指先でも。小さな虫が体を 這いずり回っているようにむずむずした。あまり気持ちのいい感覚ではなかった。頭が痛くて、くらくらした。それでも、その瞬間をしきりに思い出した。ドラの髪が僕の顔に触れた瞬間。その感触と、匂いと、空気の温度を。明け方になり、空がうっすら明るくなってきてから、ようやく眠りについた。
感情がわからない人が、誰かに対する「好意」や「ドキドキ」するということをどう感じるのか、それをこうも納得いく?文章にできることがすごいなと思った。
ほんの数か月前の記憶が、おぼろげに頭の中を行ったり来たりした。蝶の羽を引き裂いた日、ゴニが僕に何かを教えようとして失敗したその日、ほの暗くなったころ。床に潰された蝶の残骸を拭きとって、ゴニはひどく泣いた。「恐怖も、痛みも、罪の意識も、何も感じられなければいいのに……」 涙の混じった声だった。僕は、ちょっと考えてから口を開けた。 「誰でもそうなれるわけじゃないんだ。そうなるには、君は感情が豊か過ぎるよ。君はむしろ、画家とか音楽家になる方が合ってると思うよ」 ゴニが笑った。目に涙をためたままの笑みだった。 苦痛に 喘いで吐き出す息が白くなる今とは違って、真夏だった、そのときは。そのとき僕たちは、夏の真っ盛りにいた。夏。果たしてそんな時などあったのだろうか。すべてのものが青く、 生い茂っていて、成長を 謳歌 していた時が。僕たちが一緒に経験したことは、本当にあったことなのだろうか。
人よりも感受性が豊かで分かりやすいゴニというキャラクターと主人公の対比、お互いがお互いのことを理解しあえているような描写に心を打たれる。
血が飛び散る。ばあちゃんの血だ。目の前が赤くなる。ばあちゃんは痛かったのだろうか、今の僕のように。そしてそれでも、その痛い思いをするのが僕ではなく自分で良かったと思ったのだろうか……。 ぽたっ。僕の顔の上に涙の 滴 が落ちる。熱い。やけどしそうなほど。その瞬間、胸の真ん中で何かがぷちっ、とはじけた。妙な気分が押し寄せた。いや、押し寄せたのではなく、押し出された。体の中のどこかに存在していた堤防が崩れた。ぐわっ。僕の中の何かが永遠に壊れた。 「感じる」 無意識に声が出た。その感じたものの名前が、悲しみなのか 嬉しさなのか寂しさなのか痛みなのか、あるいは恐怖だったのか喜びだったのか、僕にはわからない。でも僕は、何かを感じたのだ。吐き気がした。振り払ってしまいたいような 疎ましさが押し寄せてきた。それでも、素晴らしい経験だという気がした。突然、耐えがたい眠気に襲われた。ゆっくりと瞼が閉じた。泣いているゴニが視界の外に消えた。 僕は初めて人間になった。そしてその瞬間、世の中のあらゆることが僕から遠ざかっていった。
「感じる」の一言の重みがほんとうにすごかった。たぶんそれが「感じる」ということなのかどうかもわからずに無意識に言葉に出ている感じと、自分にとっては違和感しかないその感情に対して、それでも、素晴らしい経験だと思えること自体が素敵なことだと思う。
ちょっとありきたりな結論かもしれない。でも私は、人間を人間にするのも、怪物にするのも愛だと思うようになった。 … 惜しみない愛によって、精神的に満たされた人生をプレゼントしてくれた両親と家族に感謝する。かつては、そんな私には作家になる適性がないと思って、自信をなくした時期もあった。しかし、年月を経てその考えは変わった。平穏に過ごした成長期の中で受けた応援と愛、無条件の支持がとても有難くて貴いことなのだとわかったからだ。それが一人の人間にとってどれほど大きな武器になるのか、世の中を、何の偏見も持たずにいろいろな見方ができる力を与えてくれるのか、親になって初めてわかるのだ。
最後は作者の言葉から。この作品は作者自身に子供が生まれた年に書かれたものらしい。
言っていることはわかるというかその通りだと思う。けど、作者の言いたいことは自分も親にならないとわからないんだろうなと思う。いや、親になったとして、同じことを言ったとしてもそれが本当に「同じ」かどうかはわからない。
何が自分に影響を与えたのか、今の自分がどういう立場に立って何を考えているのか客観視して、こういうことを言えることがすごい。と感じた。