AIとDIY
2025年8月14日
fukabori.fmの「131.AIコーディングの現在地 w/twada」を聞いて思ったことを記録しておく。
AIはソフトウェアをDIYするツールのようなものなのか
DIYは専門業者ではない人が、何かを自分で作ったり、修繕したり、改装したりする活動全般のことを言ったりするけど、今、AIエージェントを使えば誰でもソフトウェアを作れるようになりつつある。
日曜大工のDIYツールやキットが売られていて、実践経験がなくても大工ができるように、AIもコードや設計を学ばずにアプリを形にすることができる。今までソフトウェアを作るにはプログラミング言語を学ぶ必要があったはず。
これが何にどんな影響を及ぼすのか考えてみる。
ほかの分野におけるDIY
そもそもDIYと呼ばれるものにはどんなものがあるだろうか。
- ものづくり系:大工、裁縫、電子工作、3Dプリント、園芸・農作
- 生活系:自炊、自動車・バイク整備、住宅リフォーム
- メディア系:写真・映像編集、音楽制作、印刷、Web制作(ノーコードツールとか)、動画配信
考えてみるとけっこうたくさんある。
DIY化による影響
これまでもいろいろな分野がDIY化されてきた。その結果、どういう影響を受けてきたのだろうか。
- 趣味として楽しむ人が増える
- プロには差別化が求められる。家で食べるラーメンと店で食べるラーメンが同じだったら生き残れない
まぁでも結局どの分野でもプロは仕事として残っているので「DIY化された」という観点では、エンジニアの仕事がなくなるということはないだろうと思う。
ソフトウェアのDIYは他とどう違うのか
大工や電子工作、自動車の整備とかはあくまで自分の生活圏内のことを自分でやる、という話だけど、ソフトウェアとなってくるとそうはいかなくなってくる側面もある。
インターネットに公開されるということは不特定多数の人が使うことになるが、使う側はそれがプログラミング経験者によるソフトウェアなのかどうかは判断がつかない。
BASEも個人と法人が入り混じっているが、特定商取引法に基づく表記を見れば見分けがつく。見分けがつかないと、やはり情報セキュリティ的な心配がつきまとう。
面白いのはプロとアマチュアがまったく同じツール(AI)を使っているということだろうか。
プロのカメラマンはいいカメラを使ってたりとか、プロの料理人はいい調理器具や食材を使ってたり。一方でやることはプロとアマチュアで大きく変わらなかったりする。もちろんプロなりのテクニックとか経験則はあるだろうけど、つかってるツール自体の精度による影響のほうが大きいなじゃないだろうか。(なんか怒られそうだな)
一方でソフトウェアにおいてはプロもアマチュアもまったく同じAIを使う。違うのは結局、出来栄えを自分で判断できるかどうか、という点が大きいのかなと思う。逆にそこができないとしたら、アマチュアと間違えられても仕方がないのかもしれない。
でも、AIがどんどん進化して、出来栄えもどんどん良くなっていって、それに対して自分が何も言うことがなくなったっとしたらどうなるんだろう。いまの進化のスピード感を肌で感じている身としてはそう遠くない未来なのではないかと思う。
自分はどこへ向かうべきか
いまはまだ、自分はAIよりもより多くのコンテキストを得て思考できていると思う。
誰かになにか明示的に言われたことでなくとも、どこかでふと見かけたことがコンテキストになることはあるし、10年前の経験がふと、コンテキストとなることだってある。
そういう意味ではほんとうにいろいろなことを踏まえて判断するというのはまだ人間がやる価値があるんじゃないだろうか。
あとは今のAIは指示がないと動き出せないので、考えた結果、どういうことをやってもらうべきかを決めるのは私たちの責務だろう。
とはいえ知識量的にはAIには勝てないし、もしいろいろなことを踏まえて、自律的に考えて行動するAIが登場したら、私はもうバカンスに行くしかないと思う。AIはバカンスには行かないしな。
うーんなんかもうちょい芯を食った話になるような気がしたが、あまりパッとしない内容になっちゃったな。