楽観的かつ悲観的に生きる
2019年4月18日
楽観的という言葉がある。コトバンクから引用すると
物事をうまくゆくものと考えて心配しないさま。
とある。なにをやってもまぁだいたいなんとかなるっしょ!と物事を観ること。対義語は悲観的。悲観的とは
先行きに望みはないと考えるさま。望みのもてないさま。
何をどれだけ頑張ってもどうせいいことはないさ…と物事を観ること。キーワードは「どうせ」だと思う。
自分はどちらかと言えば楽観的な人間だと思っていた。けど最近なんとなく悲観的になってきたような気がする。 きっかけはいろいろな可能性を考えて意見を言ったところ「考え方が違うね」と言われたこと。そのとき初めて自分は物事を悲観的に見ていることに気が付いた。
「今は〇〇だけど、どうせ××になるからそこまで考える必要はない」
しかし、よくよく考えてみるとこれは悲観的なのだろうか。どうせ〇〇だから心配しなくてもいいという考え方は楽観的にも見える。 何が言いたいのかわからないけど、多分人は悲観的にも楽観的にも生きられるんだろう。
楽観的に生きつつ、物事は悲観的に観る。いろいろな可能性を考えつつも、思いつめないことがより良く生きるコツなのかもしれない。 「より良い生」というのがまだ30にもならない若輩者にはわからないが、楽観的であり、悲観的であることを意識して生きてみよう。
注意したいのは、何にも期待しない状態になること。多分これは悲観的でも楽観的でもない状態。 よく期待しなければ、がっかりすることもないという意見を聞いたりするが、感情というものは持ち上げたり、下げたりしないと機能しなくなってしまう。 サウナと水風呂に入って無理やり体温を上げ下げするように、感情も意識的に動かしてあげないと壊れてしまう。
がっかりしたっていい。後悔したっていい。そんなんすぐ忘れるよ。